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2006年8月28日 (月)

1971.8.25 C56144 信濃川上

C56144 「高原列車は行く」ではなく「高原野菜列車は行く」です。このころ、高原野菜が都会を中心としてもてはやされていました。実際には、1968年くらいからのブームでした。戦後何十年も苦労々々の、開拓農家はこの頃に都市部の流通機構に組み入れられました。いまでは、小海線に並行する国道141号線の整備は完璧で、あの急勾配を80~90キロで制限無視の11トントラックが行き交っています。 でも、このころの小海線では、高原野菜収穫の最盛期の夏の終りには、長野鉄道管理局の上諏訪、長野だけではなく、新潟鉄道管理局の糸魚川からも応援のC56を呼んでいました。のんびりしたもので、野辺山高原のあまり勾配がない区間だけではなく、信濃川上方面の急勾配上でも本線に列車を止めて積み込む風景を目にしました。ツム(通風車)が足りなければワムでもなんでも有蓋車の扉を開け放ち板材で養生した貨車をよく目にしました。その他には、レムやレサ、はては、通風コンテナまで使用されていました。中には、後補機付きの列車も設定されていました。考えてみれば、今の高原野菜のトラッは11トン。貨車なら、2両分です。いまさらながらに、貨車の搭載量の多さを思い知ります。

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コメント

GWに小海線乗って”佐久平”に行って来た、MyBlogの”茂田井宿”、帰りに新幹線で帰ろうか迷ったけど
男cobaは何を考えたか、小淵沢に出た、家まで帰れそうもなくなったので、やむなくスーパーあずさに乗ってしまった。(自称、各駅停車の旅だったのに、残念!)

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