無料ブログはココログ

☆最高のリンク集☆

  • My Dear Life
    高校の時のおともだち。情報を頂いています。写真のセンスはなかなか。綺麗な写真が沢山あります。いつのまにやら鉄道ものが主流に。
  • ⇒【極限の気動車181系 衝撃のターボサウンド】
    さ、さ、最高のキハ181系のHPです。管理人のやくもターボさんによる科学的解説は驚愕の感動をあなたに。私の拙い記録も「SS氏」として採用いただいています。って宣伝です。それにしても、隅から隅まで、掲示板まですごい!!。是非、スピーカもFULLボリュームで!!。わかりますよね!!。
  • 天気は明日も望あり
     鉄道、飛行機、自転車好きの多趣味人。猫専門の本館も。

« 2006年10月 | トップページ | 2006年12月 »

2006年11月

2006年11月29日 (水)

1973.6.16 長工栗田分所 591系

591 三部作?第2弾!!です。
日本初の振り子特急381系デビュー直前の、その礎となった高速試験電車591系です。すでに、中央西線電化開業直前で毎日381系が練習運転で591系と顔を合わせていました。この頃の591系は長野所属でしたが、その使命を終え元長野工場、当時長野工場栗田分所に置いてありました。上り方には廃車解体待ちの蒸機や、古い電機が。下り方にはクハ181やこの591系などの電車が置いてありました。今の新幹線駅の場所です。後ろには、懐かしい善光寺を模した旧長野駅の大屋根が見えます。量産された381系に比べ車内は天井が高く随分違いました。運転台から見た眺めは、窓が大きいため見通しの良い素晴らしいものでしたが、他の車両に活かされなかったのは残念です。
ところで、右端にある立て札には撮影当時気が付きませんでした。やはり、工場の試運転線です。Photo_11

1973.5.5 キハ181特急「しなの」 中平信号所

Kiha181 今回、三部作!?を。まずは、非電化西線のクイーンキハ181系の「しなの」から。
中央西線塩尻~中津川間は、1973(昭48)年7月に、この年の長野の善光寺さんのご開帳にあわせて、無理矢理??電化完成をしました。これにより、東線、西線、全て、すなわち中央本線の全線電化開業となった訳です。
大出力DML30HSC 水平対向12気筒 予燃焼室式水冷4ストロークディーゼルエンジン ターボチャージャー付 500ps エンジンを積んだ「しなの」は、併走する国道19号線の自動車より早く走ることを至上命令としてありました。食堂車のついた「しなの」は堂々たるもので、いつも沢山の人が乗っていました。盆、正月時期にはグリーン車の通路にも人が溢れ、たいへんな人気列車でした。ぼくも、何回も乗りましたがキハ58を主体とした他の急行「きそ」「赤倉」などとは速度が全く違っていました。結局、キハ181系は電化後2年近くたった1975年まで「しなの」の一角としてあの独特のターボサウンドで爆走していました。写真は木曽福島~上松間にあった行き違いのための信号所、中平信号所ですれ違う、電化直前の「しなの」です。

2006年11月25日 (土)

197011 上野駅 583系 1M「はつかり3号」

583  かつてはよく発車前の列車の乗務員室に上げてもらえました。ご覧の通りこれは憧れの583系です。お隣は、7分後に出る1103M「まつしま4号」「ばんだい4号」の455系電車です。
クハネ583の椅子に座った時の高さは思った以上です。足元の貫通路が結構邪魔に感じました。いろいろと考えて設計したのでしょうが乗務員からはあまり評判はよくなかったようです。
新宿駅では、181系「あずさ」の乗務員室とボンネットの中を見せていただいた事もありました。181系(151系)はその後乗せていただいた電車特急の中でも一番高いのではないでしょうか。高速運転では、見通しの良さが命といいます。運転席に座ってみるとボンネットがスラリとした印象でした。ボンネットに入るには、乗務員扉を入ってすぐに1メートル位の高さの機器室扉があります。先頭に向かって左側の機器室扉をかがんで入ると左に10センチ幅くらいの銅編み線が剥き出しであります。運転士さんに「これは1500Vが直接来てるから危ないよ」といいながら、手で一瞬触れてみせてくれます。そのたびに、なんともいえない「バンッ、バンッ」という音がします。ボンネットの中は意外と広いのですがその真ん中には異様な大きさの電動発電機(MG)が鎮座して独特の音がして耳かキーンとします。中にいる時に突然、空気圧縮機(CP)が起動してビックリしました。とんでもない音でした。

2006年11月 4日 (土)

1972.2 D51貨レ 新 八沢川橋梁

Photo_9 人でなしなので、おばあちゃんのお葬式だというのにやはり鉄道を撮ってしまっていました。パート2。情けナや。
 以前書いた「おばあちゃん」は父方でした。今回は、母方です。実は、この1日前に学校に母から電話があり「おばあちゃんが危篤だから行ってくれない。」と言われました。当然、「親なんだから自分が行くべきだ。」と返しました。でも、頑としてゆずりません。我が家の代表としてぼくが行く事になりました。めずらしく、新幹線とキハ181の「しなの」で木曽福島に入りました。(うそ、たまたま家に帰り時刻表を見たら時間帯として、東線の「あずさ」利用より10数分早く着いたからです。)途中、つくづくと、母の親に対する愛情の強さを感じました。その現実を否定したかったからだと思います。
 入院先の県立病院にタクシーで駆けつけましたが、一足違いでした。すぐに母に連絡すると、「葬式には出ない」といいすぐに切られてしまいました。大騒ぎでばたばたし始め、ぼくの出る幕ではないのがわかったので「夕方には戻ります」とおじさんに言って、大好きだったきれいなすてきなおばあちゃんを思い起こして空しい心で駅方面に向かっていました。何故か、氏神様になる水無神社に行こうと考えつきました。その途中発車の汽笛が聞こえました。そして、何故か!カメラを持っていたので猛然と加速するD51をとりました。
 すっかり様変わりした八沢川の橋梁は、昔に比べ随分低くみえました。でも、良く見ると、やっぱ高いと思います。「よく、渡ったな。」。
     
結局母は、葬儀の終る直前に突然現れました。
 

1970.3 中央西線 D51客レ 八沢川橋梁

Photo_8  中央西線全線電化に向けて、木曽福島駅東方の八沢川にかかる単線橋梁の架け替え工事が始まってしまいました。。本町の「七笑」の蔵元の横から加治屋さんの前を通って旧中山道にあたる急坂を上ります。水場のある上ノ段を経て八沢に降りてきて見上げると中央西線の橋梁がありました。
 塩尻方面へ向かう列車は、この八沢川を渡るとすぐに原野までの勾配が続くために気合を入れて力行していきます。
木曽福島は親戚が居たので、ぼくにとっては第二のふるさとです。1年半ほどで、下り線を別線でトンネルを穿って作り、複線のコンクリートの高架橋と変わりました。原野までは電化前に複線化を達成しました。
 またも、時効の話をひとつ。この写真の八沢川橋梁を渡ったことがあります。工事のはじまる前です。列車は怖いので駅で遅延を確かめ、ダイヤを見て「決行」したことです。真昼間でした。この写真は、上ノ段から下りる途中から撮ったもので下から見上げたものではありません。実はモンのすごい高さなのです。手すりもありません。真ん中に板が置いてあるだけです。10メートルも進んだ頃には「後悔」しました。「なんて、バカな事をしてしまったのか」。でも、Uターンのしようがありません。そんなことをしたらバランスを崩して転落です。どのくらいの時間がかかったのか。
しばらく(1年以上)は、恐怖とわが身の愚かさを思い出したくなく、この道は利用しませんでした。そういえば、いつも遊んでいた従兄弟の友人のお兄さん連中からも「誰か渡った」なんて話は聞いた事がありませんでした。

« 2006年10月 | トップページ | 2006年12月 »