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2007年1月

2007年1月27日 (土)

1988 鹿児島市電 西駅前 802

802 特別企画!路面電車シリーズ第6弾!

 鹿児島市電。日本最南端の市内電車です。出張でよく市内に泊まりました。西駅前に泊まっても天文館では毎晩飲んでいたので市電で行き来していました。
 薩摩といえば、デフォルト25度の焼酎!と薩摩おごじょと称される女性です。と、思っています。学校時代に会った、邦楽部の部長をされていた方も、背筋がいつも伸びた優しいけれど芯の強い方でした。彼女の琴を弾きながらの謡いがすごくりりしくて、やさしげで感動してました。天文館の飲み屋さんにもそういった方が働いていました。当然いざとなったら、薩摩隼人でも足元にも及ばない強力な存在です。お昼どきに西鹿児島改め鹿児島中央駅奥のイタ飯屋で、500mlくらい入るグラスワインを飲んでいる女性が多いのにはビックリです。年齢は幅があります。 終点の谷山での事でした。夕方、これから店を開けたり出勤する飲み屋のおばさんやお姉さん連中が2合徳利焼酎をお湯割で、ものの1時間もしないで飲み干してさっさと出ていく姿には感動しました。知ってる人(嫁はん)に聞くと薩摩おごじょは大酒のみが多いけど旦那の前ではどんなに飲んでも平然と振舞うのが当たり前だそうです。なるほど、天文館の飲み屋さんでも仕事帰りの女性が20時くらいまでは多かったのを思い出します。しかし、男尊女卑はいまだに続いているので不満をいろいろ聞いたりもしました。
 市電の運転士さんにも、若くて本当に素敵な女性が何人もいました。しかーし!、運転はフルノッチ、フルブレーキで、皆さん本当に度胸のある運転をされています。正直いって、2両分ある電停ホームの端で40キロもった状態での突っ込みにはまいります。あまり乗りたくないような。
 これは、冬の朝の西駅前の802です。しりませんでした。元大阪市電の2601形だったとは。いくら車体角を改造したとはいえ、電車は塗り訳でイメージが全く変わってしまいます。

2007年1月24日 (水)

1971.8 京都市電 京都駅前718 1917

7001900 特別企画!路面電車シリーズ第5弾!

 送れてきた少年(当然当時は!です)は、またも最後を目にしてしまいました。仙台、東京、横浜の市内電車の最後の煌めきを見届けてしまって、京都にたどり着いたぼくの目の前には、外周線(東大路、北大路、西大路、九条通)、今出川線、丸太町線、白川線、七条線、河原町線を残す大路線を持つ京都市電がありました。
 四条線、大宮千本線、伏見稲荷線は、最初の関西訪問の時には残っていたのに、記録はしていません。京都駅東方の国鉄を乗っ越す高倉陸橋にはまだ架線柱が残っていました。
 それにしても、すごいボリュームで走っていました。京都駅前はいつも折り返しのためたむろしていました。京都で最初に住んだのはお東さん(東本願寺)のまん前。烏丸通に面していたので築100年以上経っている木造三階立ての最上階の部屋でした。窓から七条烏丸を行く市電の音が聞こえていました。河原町線の五条から御池間、東山線の五条から岡崎あたりまでは車の中で喘いでいました。そのかわり、西大路や、北大路では車内のつり革が全て盛大に天井にぶち当たっての走行ぶりで溜飲を下げたものです。それにしても、本当に便利な乗り物でした。知っている限りの京都市民はこぞって廃止、バス転換には反対していました。でも、その京都市民に言わせると「いつも言うだけ、中身がない、動かない」の市民性のおかげで廃止されてしまったようです。何十年もたったのに、いまだに、京都市営のバスは、市電代行バスも含め、系統番号も、運行系統もほっとんど変わっていません。なら、市電でよかったのに、と思います。ただ、朝早くの河原町通りで85キロものスピードを出すバスにはかないません。
 この写真の両形式共に乗り心地のよい車でした。

2007年1月14日 (日)

1971.3 都電23系統8036

8036  特別企画!路面電車シリーズ第4弾!
 
  越中島の東京商船大の明治丸の横、相生橋を月島に向かう都電23系統です。後に荒川線となった線区を除いた全ての路線が廃止される直前です。当たり前に人が乗っていて、便利な存在でした。立派なカイゼル髭の運転士さんなどがいました。また、車掌さんが居る事も大きな安心でした。下町の路線では運河の度に太鼓橋のような鉄橋をいくつも越えていく路線もあり遊園地のようでもありました。
 東京は、ろくな知事がでないので他の都市のように「都電保存館」のようなものは出来ませんでした。残念無念です。上野公園にあったPCCカー5501は何処にいってしまったのでしょう。
 

2007年1月 3日 (水)

1972.3 横浜市電1500形

Photo_12 特別企画!路面電車シリーズ第3弾!

  多くの都市の路面電車が続々と廃止になっていた頃、興味の対象は国鉄、または私鉄の新鋭電車でした。いま少しの思慮か、年齢があれば廃止直前のさまざまな鉄道、軌道や車両たちを記録できたのにと本当に悔やみます。特に、各都市ごとに特徴のある車両が居た路面電車はよく知りませんでした。結局、神戸の市電、静岡鉄道の清水市内線、名古屋市電、山陽電軌の下関市内線、西鉄北九州線、福岡市内線、大分交通別大線など記録できるハズのものも興味の対象外だったわけです。今思っても、1970年代前半には沢山の市内電車があったのです。
 横浜市電も、横浜に親戚がいて何回か限られた区間に乗っていたのでかろうじて最後の姿を記録に残せました。しかし、東海道や横須賀線の車内から見えていた保土ヶ谷付近での姿や、六角橋での賑わいの姿、雄大な山元町への坂と眺望、麦田町のトンネルなど知っていたのに記録できていません。
 全面廃止直前の、県庁前、日本大通りでです。こんなところにも靴磨きの人がいました。

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