1972.7 中央線101系 三鷹
まもなく、長年走りつづけていた国鉄初の界磁チョッパ制御車の201系が、JREastの誇るE233?に置き換わるそうです。また、京浜東北の「走るんです」もお約束通り約15年で交換されます。201系の中央線のくるまは、正面に掲示板入れ?(今は行灯ですけど)が付いましたが、ぼくには「口」に見えてしまいきらいでした。故に、あまり興味がありませんでした。
やはり、全電動車方式を追求しようと思っていた101系が大好きでした。窓も大きくよく走る電車でした。103系は高度経済成長期に現出した「通勤戦争」用の「戦時標準車両」で、とにかく安く、沢山作れ、起動加速度が高い、なので乗り心地が悪く嫌いでした。
井の頭線に急行が走り始めていたのにキチンと写真も撮っていなかったのでぷらぷらとひと回りしにでました。吉祥寺から、東西線乗り入れの5000形ばかり見ながら三鷹に着くと、車掌さんが沢山います。思わず撮りました。交代や、車内改札(検札)要員です。
当時、いとこのお兄さんが東京西局の運転指令をしていました。都内の「御三家」高校を出てこれまた優秀な工業大学を出たいとこのお兄さんMちゃんは国鉄を選びました。銀座での都電の最後に連れて行ってくれたのもこのMちゃんでした。おばさんは、大の歌舞伎などの芝居好き。おじさんは、当時はめずらしかった京都好きでしょっちゅう京都に行っていたようです。家もバスで一本だったのでよく泊まりにいきました。Mちゃんは、最初は中野区所属で総武線緩行の運転士をしていました。次に、列車課でスジ屋さん、そして当時は前述の運転指令をしていました。他のキャリア組とは変わっていたようで、結局、列車指令と駅、電車区を行ったり来たりで、最後は旧西局管内の某管理駅長で退職したようです。
101系はサハが入って性能を落として(本当は入れたくなかった)しまいましたが、よく走りました。首都圏どこにでもいるようで、中央快速、関連の青梅、五日市、南武線の一部、そして総武線緩行、武蔵野縁にしか使われていませんでした。中高速域での伸び、高速からの安定した素直なブレーキ、いいくるまでした。また、クーラーなしの101系に乗りたいものです。


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