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2007年3月26日 (月)

1972.6 0系 35形車内

35_1  基本的に、新幹線は好きではありません。「合理的」「ドライ」といわれていますが、基本的にそうなのです。中身としては、戦前の弾丸列車計画の復活でした。そして、鉄道技術界の夢だった標準軌での幹線運行でした。200キロオーバーの電車方式でのフリークエントサービスは、当時、世界初の試みでした。「shinkansen」の成功に影響を受けたアメリカではメトロライナーが出来ました。また、ヨーロッパ諸国では最高速の向上が行われました。
 初めて乗った時の記憶です。無論、0系です。多摩川通過までは速度は110キロ(当時)に抑えられていたので、堂々とした「大名列車」といったイメージでした。しかし、大きくカーブしながら新丸子付近を過ぎたとたん、あの加速が始まりました。外をみていると、ドンドン速くなっていくのがわかります。気持ちが悪くなるほどです。車窓からみる光景は、まるでテレビのようです。つまり、実感のない画像なのです。でも、その車両が走っているのを外から見るとその実感が湧きます。人が乗っている!恐ろしい!が実感なのです。今でもそのギャップは埋まりません。だから加速中は気持ちが悪くなります。
 小さい頃は「夢の超特急」、という言い方が当たり前でした。絵本にも、「夢の超特急」として、アメリカ型の列車の想像図などが沢山載っていていました。初めて試作車を見たときには正直いってがっかりしました。量産車は少しはマシになりましたが。開業後には、「おかあさんと一緒」で実写を使っての「びゅわーん、ビュワーン走る、丸い光のボンネット」といった歌も流れていましたが、151系「こだま」世代としては違和感がありました。「こだま号のうた」は、素晴らしい曲でした。いつか、東田子の浦や、由比付近、街中が写ったあの実写と歌を聴ければとおもいます。
電車による長距離運用をたくみに織り込んだ名曲でした。「○急、○急、○草くわずに○ユーン○ユーン。○ラソン選手の○ピード選手の、○だまは走るよ ○ユーン○ユーン」。
 それでも、新幹線には魅力がひそんでいます。そうです。「標準軌」としてののスペックです。長さで5メートル、幅、高さで50センチのサイズは圧倒的な迫力です。写真は、椅子付きビュフェ35形車両です。

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コメント

”品川の地下通路の海岸口寄りにある、1メートル程のドアを背をかがめてくぐり抜けると(まるで不思議の国のアリス!)そこは、車両清掃のおじさんや、おばさん、検修掛、運転士、車掌がうろつきまわる別世界が拡がっていました。”
そうそう、実は、家のお爺ちゃんが国鉄で、(ちなみに親父は都交通局で都電運転してたらしい)新幹線の運転手を教育してた、親たちは、試運転で開通前の新幹線に乗ったらしいけど、俺は幼稚園があって乗れなかった、その後で大騒ぎしたら、爺ちゃんがその品川駅地下通路のドアを空けて中に連れてってくれた、電車がでっかく見えた。下神明の婆ちゃん家、1回来たでしょ、あそこで、新幹線開通日のTV放映を爺ちゃんと一緒に見て、今ここ通ったってるって騒いでたんだ、幼稚園の頃。

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