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2007年3月

2007年3月29日 (木)

1972.2 鶴見川橋梁 0系 若番

0  なんだか、前回は「新幹線」についての書きたい事をかけないままの消化不良で終っていたみたいなので、続編を。
 前回は、標準軌のワイドな素晴らしさに感動したあたりで終っていました。1989年に横浜博で見た中国の前進型蒸機の大きさ、ボリュームは実感出来るいい例です。
 実は、高校の時に品川にあった新幹線東京第一運転所で車内清掃のアルバイトをしました。当時、時給は高校で480円くらいだったでしょうか。なのに、そのバイトはなんと、忘れもしない240円でした。清掃は、一車両に2人、ただし、当時食堂車は無かったのでビュッフェは客室が半室のため一人。そして、便所屋と呼ばれていた洗面所、トイレ選任に16両編成の半分ずつの8両分を受け持つ3人チーム。それと、作業長(男)一人、副作業長(女)一人の総勢((普通車、グリーン車2人×14両)+(ビュッフェ付車両1人×2両)+(便所屋3人×2)+作業長+副作業長)38人が3組いたと思います。一日で、6本くらいを清掃しました。
 朝、品川の地下通路の海岸口寄りにある、1メートル程のドアを背をかがめてくぐり抜けると(まるで不思議の国のアリス!)そこは、車両清掃のおじさんや、おばさん、検修掛、運転士、車掌がうろつきまわる別世界が拡がっていました。毎日出勤すると、ボードの車両番号の下には本日の担当の名札が貼ってあって一喜一憂したものです。清掃時間は約50分です。トイレのない座席のみの車両は22列。トイレ付きは20列。先頭車でも東京寄り16号車はトイレなしで18列。そして、大阪寄り1号車はトイレが付いて15列でした。無論、運転室内も清掃対象です。だから、1号車や16号車に当たると一日ウキウキでした。特に15列しかない1号車は最高でした。担当車両に行くには必ず8、9号車から入りました。先頭車両が担当の時には車内に入ってからも200メートルを歩くのです。清掃中には、当然運転席に座ってみたりしましたけど、必ずタイフォンペダルを誤って踏んでしまい、あの独特の警笛音を楽しみました。それにしても高い運転台です。さすが標準軌です。特に、運転席横の窓を開けると目が回るほどの高さ(おおげさ!)でした。また、構内の踏切で待っていると入出庫する新幹線車両が、ゴムの排障器をレールに押し付けて(意外と構内は線路が悪かったようです)ふわふわとしながら見上げるような巨体を見せてくれていました。構内の外れにはよく911形ディーゼル機関車が止まっていました。一度だけ、911形の運転室の清掃をしました。線路からのステップを上がる時、大きさを実感しました。あんな機関車はいません。
 新幹線の車内清掃は1回きりでした。いかんせん、時給が安すぎて安すぎて。

2007年3月26日 (月)

1972.6 0系 35形車内

35_1  基本的に、新幹線は好きではありません。「合理的」「ドライ」といわれていますが、基本的にそうなのです。中身としては、戦前の弾丸列車計画の復活でした。そして、鉄道技術界の夢だった標準軌での幹線運行でした。200キロオーバーの電車方式でのフリークエントサービスは、当時、世界初の試みでした。「shinkansen」の成功に影響を受けたアメリカではメトロライナーが出来ました。また、ヨーロッパ諸国では最高速の向上が行われました。
 初めて乗った時の記憶です。無論、0系です。多摩川通過までは速度は110キロ(当時)に抑えられていたので、堂々とした「大名列車」といったイメージでした。しかし、大きくカーブしながら新丸子付近を過ぎたとたん、あの加速が始まりました。外をみていると、ドンドン速くなっていくのがわかります。気持ちが悪くなるほどです。車窓からみる光景は、まるでテレビのようです。つまり、実感のない画像なのです。でも、その車両が走っているのを外から見るとその実感が湧きます。人が乗っている!恐ろしい!が実感なのです。今でもそのギャップは埋まりません。だから加速中は気持ちが悪くなります。
 小さい頃は「夢の超特急」、という言い方が当たり前でした。絵本にも、「夢の超特急」として、アメリカ型の列車の想像図などが沢山載っていていました。初めて試作車を見たときには正直いってがっかりしました。量産車は少しはマシになりましたが。開業後には、「おかあさんと一緒」で実写を使っての「びゅわーん、ビュワーン走る、丸い光のボンネット」といった歌も流れていましたが、151系「こだま」世代としては違和感がありました。「こだま号のうた」は、素晴らしい曲でした。いつか、東田子の浦や、由比付近、街中が写ったあの実写と歌を聴ければとおもいます。
電車による長距離運用をたくみに織り込んだ名曲でした。「○急、○急、○草くわずに○ユーン○ユーン。○ラソン選手の○ピード選手の、○だまは走るよ ○ユーン○ユーン」。
 それでも、新幹線には魅力がひそんでいます。そうです。「標準軌」としてののスペックです。長さで5メートル、幅、高さで50センチのサイズは圧倒的な迫力です。写真は、椅子付きビュフェ35形車両です。

2007年3月22日 (木)

1973.8 スハ32形客車室内灯 宗谷本線324レ

Denntou   旧型客車がまだ全国にたくさんあった頃にはいろいろ気になることがあって乗車していても楽しめました。
 たとえば、この写真のような室内灯です。蛍光灯改造されたものは急行などの優等列車に優先充当されていましたが、白熱電灯の客車は電灯カバーの形状、明るさももさまざまでした。この写真のスハ32も、天井などは白く塗られて明るくなってますが、ニス塗りの元々の天井に塗ったせいなのか、ニスのみの天井と同じようにひび割れています。夜行列車などでは寝っ転がると、目の前にある電灯カバーと台座(ベンチレータの室内側を兼ねた)形状が楽しみでした。電灯カバーにも、重要文化財になった建物についているような凝った美しいものが沢山ありました。台座も負けじと美術品のようなものが多く、形状もさまざまでした。
 最近昔からある駅のホーム上屋を支えている柱の形態に興味があります。あの頃、記録をしておけばよかったと悔やまれます。
 また、トイレ、洗面所の話は長くなるので、またも別の機会に譲りますが、それ以外にも、板張りの背ずり、アームレストの形状。なかには、旧型電車のように改造によって窓配置と座席位置のズレたもの。そればかりか、デッキがわの妻の壁面に掲示してあった「全国鉄道路線図」?が相当長い間変更されてないようで旧字体だらけだったり。
 ちょっとだけトイレねたでは、トイレドアに貼ってあった「上野~赤羽 便所使用禁止」「東京~横浜 便所使用禁止」の小さなプレートなんてのも興味を引きました。デッキの出入り口ドアの取っ手の形状もいろいろありました。旧型客車ではありませんが、いちばん最近では、鹿児島本線の457系の網棚が、文字通り「網」棚で残っているのに感動しました。あの「網」を編める(メンテ)人ももほとんどいないとか。いつかその写真をお見せいたします。

2007年3月19日 (月)

1972.10.9 急行「立山2号」になる快速 糸魚川

Koucyoku   「急行型交直両用電車」。なんと、かぐわしい言葉の響きでしょう。初めて、交直両用の急行電車を見たのは、上野駅からの「ときわ」だったのか、よく家族で行っていた伊豆だったのかの記憶はありません(「常磐伊豆」という急行がありました)。でも、153系、165系、169系などの湘南カラーの急行電車によく乗っていたぼくには、そのカラーリングと、ステップのついた出入口のスタイルが衝撃的でした。
 屋根上の特高圧機器もなんとも素敵でした。また、165系「アルプス」の乗車回数が多かったので山線での急行には慣れていましたが、あとから乗る機会が増えた交直流両用電車の急行は線形のよい東北本線、常磐線、北陸本線などでひたすら飛ばすイメージを持ったのも好きだった理由です。
 乗ったことのある交直両用急行は「まつしま」「あずま」「ときわ」「ばんだい」「くりこま」「くずりゅう」「立山」くらいでしょうか。その中で、特に印象があるのは、「立山」の糸魚川延長の快速使用の新車の457系に乗った時でした。
 まず、感動したのが座席の背当て部分の変化でした。今まで以上に分厚くなって、長時間乗車でも疲労しにくい最高の乗り心地でビックリしました。この頃(1971)新製されたばかりの金沢配置の車に偶然乗ってしまったようです。他の急行型がドンドン経年変化で背ずりがぺこぺこになった後年になっても、最後までその状態を保っていました。同世代の12系などでも味わっていないので、1971年新製分だけかもしりません。これ以上の座席は、正直いってそれから後の特急車両も含めて今だにお目にかかったことがありません!。また、「大好き」な「便所」がFRP製になってびっくりしました。独特のにおい(接着剤?)と、あのシームレスな隅が丸くなって清掃の手間を考えている個室のムードには驚きました。まさに、システマチック!を旨とした近代合理主義の一つのピークを見たような気がしました。
 列車トイレの話を始めると長くなるので別の機会に。ぼくと同年代の鉄道ファンには不思議と「列車トイレ」についての「うんちく」を垂れる人間がなかなか多くて不思議です。そういった、社会学的考察もしちゃいたいところですが。
 これらの急行型交直両用電車も、急行運用がほとんど廃止された国鉄末期から変な塗装になってしまい、興味の対象から失せたのですが、近年九州あたりからはじまったのでしょうか「国鉄色」に戻したイベント塗装が増えたのはうれしいことでした。60Hzの印の車体下部のラインも復元されました。東北、常磐筋はそのラインがないのは当然でその雰囲気が好きでしたが、北陸、九州ではあって当たり前でしたから。

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