1970.4.26 高島貨物線鶴見駅 上り貨物レ
このところ、どうしようもなく、生きて精一杯の力を出している蒸気機関車に会いたくて会いたくてたまりません。知っている限りの、北海道のC11、秩父のC58、梅小路の8620や、C61、D51、C62などは大事に大事にしているので正直いって除外です。JR東のD51には、12系6両は荷が軽い感じです。それに、蒸気の上がりが最高にいい優等生のようです。裏方の検修の皆さんの素晴らしい仕事ぶりには頭が下がります。
となると、山口線のC57です。先立つものがないので、一体いつになるのかわかりませんが会いに行きたいと思っています。なので、かつての記録を引っ張り出しちゃいます。
まずは、よくお世話になった新鶴見のD51(可哀想に「どぶネズミ」なんて言われていました)です。新鶴見操車場から東横浜方面への高島貨物線は、D51の活躍する線区です。鶴見川手前で東海道本線と寄り添います。そして、京浜急行の生麦付近から高架に上がって元の横浜市電生麦車庫横を通って新子安付近の入江駅に向かいます。鶴見駅は、京浜工業地帯の工場で働く人たちの乗り換え駅で朝夕は大変な混雑です。その横を、盛大に煙を吹き上げて力行する、定数をもったD51牽引の貨物列車が行き来してました。入江駅構内の跨線橋は交通量の多い道でしたが、上り列車の発車時にはその噴煙でしばしトラックも停車をしていました。また、南風や東風の日には鶴見駅ホームも煙って大変でした。
鶴見駅といえば、西口と東口を結ぶ橋上通路に学生、労働者向きの安い食べ物を出す立ち食いのお店がこの頃には沢山あり楽しみでした。かつてあった池袋西口のホープセンターの焼きそば、いまだ健在の東口地下のスパゲティなどに通じるものがありました。秋葉原デパートの1Fなども無くなり、鉄道会社の仮面を被った不動産屋の陰謀で「エキナカ」という没個性の画一化した現在、庶民的なお店が駅のなかからほとんど無くなってしまいました。鶴見自体も西口は再開発され、労働者の憩いの場「満州園」も駅前ビルの中で埋没しています。


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