1975.3.7 1102レ 急行「桜島・高千穂」 スハフ43 334
この6月、横浜周辺ではEF65501の引く旧型客車の列車が4日も走りました。かつては、どこにでも客車列車は走っていました。特に、朝晩の通勤通学列車には輸送力が必要だったので客車列車が沢山設定されていました。
色々な客車に乗りましたが、一番嫌いだったのは最後の50系客車でした。それは、感覚的なものだとは思います。50系客車が出る前は、実は12系客車が嫌いでした。なぜなら、まるで急行電車だったからです。 同じように、電車特急みたいな14系客車も嫌でした。自分自身の中で作られた「客車」のイメージ臭くなかったからです。
でも、急行や特急は「速い」ので許されます。いえ、許してあげます。でも、50系客車は普通列車向けです。変な風に明るくて、ドアも自動で。当時は、「客車じゃない」と言われていました。
ぼくらは、ナハ22000系や、オハ31系などの17メートル級客車は、事業用車でしか知らない20メートル級客車世代です!。地方に行かなくても、そこいら中にスハ32系、オハ35系、スハ43系、オハ60系、61系がいました。
それにしても、オハ60や、61。それに43系、スハネ16の乗り心地は特徴的でした。
オハ60や、61系は、70km/hを越えると劇的に変化しました。何というか乗り心地は突然嵐に中に投げ込まれた小船なのです。
なので、山線などの速度の低い線区に使用される分にはよいのですが、がんがんにかっとばす東北本線や、北陸本線などでは避けていました。それでも、正月やお盆のなどの多客期運転の臨時急行などに使われることもありました。定期列車は混んでいるので乗らざるを得ない場合もありました。
転じて、43系は、これまた極端で顕著でした。すなわち、80km/h出ないと乗り心地が悪いのです。特に40km/hほどでたらたら走っていると、あのTR47台車は線路のジョイントを拾って「ドシン、ブルブルブルブル」「ドシン、ブルブルブルブル」「ドシン、ブルブルブルブル」となります。すなわち、「ドシン」のあとにビビリ振動が続いて「ブルブルブルブル」です。
今乗ると、線路がよいのであまり意識されないかもしれません。
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