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2009年7月19日 (日)

1972.8.22 阪急 桂 2800系特急

2800  夏になると思い出す。
 尾瀬ではありません。初めて関西に行って鉄道三昧をした時が夏だったからです。ものすごく気合を入れて一ヶ月前から「関西ノート」を作成して、鉄道雑誌などからの情報をひたすらまとめていました。その中で「私鉄王国関西」というフレーズがこびりついていました。本当に、今思えばまったくの片手落ちもいいところです。当時の国鉄で回らなければならないところは沢山ありましたし、阪神国道線などは訪問していません。目の前にあったのに。
   第二回目の関西は本当に駆け足でした。括弧内はお目当てです。
 そのときの行程は、中央西線(D51/C12)--飯山線(C56)--信越本線(ファミリーD51)--篠ノ井線(DD51/キハ181)--小海線(C56)--伊勢市(近鉄特急車/2200系)--紀勢本線(C57)--加太越え(D51)--京都(キハ82/EF65「日本海」/新快速)--阪急京都線(P-6/2800系)--京阪(1900形2種/3000形--糸魚川(EF81/東洋活性白土専用線/C12)--百間町(廃止後の頚城鉄道)--仲間と糸魚川~親不知~越中宮崎かち歩き、で7泊8日かけています。
 一度目の訪問で、阪急そばの関西味付けのおうろんとかやくめしに凝ってしまったぼくは、この時も桂駅で、すうどん、かやく、それに当時はふかしたてのしゅうまいを頼めました。しゅうまいがメニューにある阪急そばは少なかったようです。十三店にはありました。学生の頃はたびたび桂まで食べに行っていました。この頃の桂駅は、とてもハイカラなイメージのある駅で、嵐山線専用ホームは、本線のホームに挟まれ草が生えて、木立がホームの真ん中にあってとてもよい駅でした。
定速度運転機能付の特急がすごい速度で駆け抜けていく横をP-6、デイ100がゆっくり入換をしています。嵐山線には半端者となっていた705Fがいました。
 学生になった頃に、2800系の後釜の6300系が製作され次々と運用に入り始めました。そんなある日のことでした。
神戸のライブハウスに向かうため京都線の特急に乗りました。新車の6300系です。
 山崎で、国鉄をアンダークロスするときに、向日町からの西行き寝台特急の回送列車を引いたEF58牽引の列車を追い抜きました。当時の山崎駅のカーブの制限速度は90km/hだったと思います。それに対して阪急はアンダークロス部分のカーブは95km/h制限でした。間違っているかもしれません。いずれにせよ、6300系特急が大山崎駅に駆け上がった時には既にノッチを入れています。ちらりと横を見るとEF58の回送寝台特急は後ろに去っていきます。そのうちに、最高速度110Km/hになりノッチoff。上牧駅を通過するときに先ほどの58牽引列車を見ると、なんとじりじり速度を上げてくるではありませんか。
水無瀬駅通過時点では追い抜き初めています。こちらは、110km/hのままです。
下り勾配の緩やかなカーブをにはいりました。と、その時、113km/hで自動的に常用最大ブレーキをもらってしまいました。
107km/h位でブレーキが緩み、またノッチを入れて最高速度110km/hにあげましたが、58の回送列車は圧倒的な速度差でどんどん遠ざかってしまいます。速度差は20km/h位はありました。正に、EF58恐るべしです。それまでもいろいろな機関士さんからは高速域の加速はEF65よりもはるかによいとは聞いていましたが、目の前で見てしまうと改めて感動しました。でも、ある機関士さんにはEF65P型で140km/h出したと聞いたことがありますが。

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コメント

京葉帝都 様

コメントありがとうございました。「爆走」はわたしも多々経験しましたが、時効となったものを書いてしまったものです。お互いによい「思い」をしましたね。なかなか今となっては難しいでしょうがまた出会いたいものですね。

先ほどの書き込み、一部訂正します。
221系→223系でした。東灘付近でした。
他の爆走では、近鉄大阪線の長瀬付近で急行(2600系)、京成千葉線の津田沼〜幕張(幕張本郷駅は未開業)で普通(旧3000系)がありました。

はじめまして。
AguiNet阪急の閲覧でこの素晴らしいブログを知りました。
EF58はまさに特急用として素晴らしい性能のELだったのですね。お召し列車指定機があったのも頷けます。幹線のSLでお召し機はC62ではなくC59であったのとは関係がなさそうですが。それにしてもELで130キロ以上の走行を行うとは、当時の国鉄では回復運転のためには現場に相当の裁量があったのか、と思わせてしまいます。
私もかつて乗車した、急行「越前」(EF64)、特急「あかつき•なは」(EF66)、京阪神の新快速(221系)で爆走がありました。
逆に北越急行線に代走で入線した489系が140キロ以上出せず、車掌がアナウンスで「スピードが出ないので終越後湯沢到着が遅れます。」と平謝りでした。
何はともあれ、安全第一を徹底してもらいたいものです。

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