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2009年7月

2009年7月21日 (火)

1972.5.7 渋谷貨物駅 103系冷房試験編成

Shibuya  今は、まったく訳わかんなくなっている、渋谷駅南東から、北側を眺めたものです。
当然、山手(やまて)貨物線の渋谷駅です。当時は、ごらんのとおり広くて、今もあればトラック輸送の基地となり中小向け流通には小回りが効いたのでは?なんて思ってしまいます。。
渋谷は、父の現場が一時期あったりした、おなじみの場所でした。
家族での、寿司(亀八)やレストラン(レストラン京王--後の京王ホテルのレストラン部門)での食事が楽しみでした。
帰りが早い時には、かならず、井の頭線(大人はみんな「帝都線」と言っていました)渋谷駅に上がる階段の横にあった不二家でアップルパイを求めていました。子供にはパラソルチョコも楽しみでした。不二家の前の横断歩道側には、いつも七味唐辛子を屋台で売っているおばさんがいました。それに、バナナの叩き売りもよくいて少々ご機嫌になった父がよく冷やかしで値切ったりしていました。でも決まって一番大きい房のものを買って帰ってきました。また、階段をあがった中二階の売店では、アメリカのディズニーのマンガ雑誌が売っていてよく買ってもらいました。これは、吹き出しのみを翻訳してあるものすごく
「アメリカ」そのままのもので楽しみでした。ほかにも、同じく翻訳してあるバットマンやスパイダーマン、はては、ロボット三等兵、のらくろなどもあり、たまにそちらを買ってもらったりもしていました。
小学校3、4年生の頃は、母の財布から30円 くすねれば(すごく悪いことをしている、という後ろめたさでいっぱいでしたが、欲望には勝てません)新宿、渋谷への往復代となり、しかも片道20~30分もあればいけました。
まだ、近くの円谷プロ通いに気がつく前でした。
渋谷に行けば、当然東横百貨点(現東急百貨店)にいきます。無論、着いたら向かうのは、「おもちゃ売り場」でした。
あの頃は、カツミ模型店も入っていたのでEB58などに見入っていたものです。その後に向かうのは、手品コーナーでした。
少し年配の方と、若くて、子供たちを邪険にまったくしないスラリとしたお兄さんがいました。当時は、初代の引田天功がテレビで脱出マジックなどをしており、意外と手品のブームでした。もちろん、平日に遊びにくる子供なんか買いやしません。
でも、おにいさんは色々な手品を見せてくれました。駄菓子やのおばちゃんなんかは、商売商売して子供心にもあまり好きではありませんでしたが、そのお兄さんは優しくて、ぼくらにとっての一種のヒーローだったのです。その後も、手品コーナーはずっとありました。
 この話には後日談があります。今から十年くらい前です、ある日テレビのチャンネルを変えていたら、!!あのお兄さんの写真が番組の中にでていました。すぐわかりました。もっと驚いたのは、そのお兄さんこそ、あの、「ミスター・マリック」その人だったのです。

2009年7月19日 (日)

1972.8.22 阪急 桂 2800系特急

2800  夏になると思い出す。
 尾瀬ではありません。初めて関西に行って鉄道三昧をした時が夏だったからです。ものすごく気合を入れて一ヶ月前から「関西ノート」を作成して、鉄道雑誌などからの情報をひたすらまとめていました。その中で「私鉄王国関西」というフレーズがこびりついていました。本当に、今思えばまったくの片手落ちもいいところです。当時の国鉄で回らなければならないところは沢山ありましたし、阪神国道線などは訪問していません。目の前にあったのに。
   第二回目の関西は本当に駆け足でした。括弧内はお目当てです。
 そのときの行程は、中央西線(D51/C12)--飯山線(C56)--信越本線(ファミリーD51)--篠ノ井線(DD51/キハ181)--小海線(C56)--伊勢市(近鉄特急車/2200系)--紀勢本線(C57)--加太越え(D51)--京都(キハ82/EF65「日本海」/新快速)--阪急京都線(P-6/2800系)--京阪(1900形2種/3000形--糸魚川(EF81/東洋活性白土専用線/C12)--百間町(廃止後の頚城鉄道)--仲間と糸魚川~親不知~越中宮崎かち歩き、で7泊8日かけています。
 一度目の訪問で、阪急そばの関西味付けのおうろんとかやくめしに凝ってしまったぼくは、この時も桂駅で、すうどん、かやく、それに当時はふかしたてのしゅうまいを頼めました。しゅうまいがメニューにある阪急そばは少なかったようです。十三店にはありました。学生の頃はたびたび桂まで食べに行っていました。この頃の桂駅は、とてもハイカラなイメージのある駅で、嵐山線専用ホームは、本線のホームに挟まれ草が生えて、木立がホームの真ん中にあってとてもよい駅でした。
定速度運転機能付の特急がすごい速度で駆け抜けていく横をP-6、デイ100がゆっくり入換をしています。嵐山線には半端者となっていた705Fがいました。
 学生になった頃に、2800系の後釜の6300系が製作され次々と運用に入り始めました。そんなある日のことでした。
神戸のライブハウスに向かうため京都線の特急に乗りました。新車の6300系です。
 山崎で、国鉄をアンダークロスするときに、向日町からの西行き寝台特急の回送列車を引いたEF58牽引の列車を追い抜きました。当時の山崎駅のカーブの制限速度は90km/hだったと思います。それに対して阪急はアンダークロス部分のカーブは95km/h制限でした。間違っているかもしれません。いずれにせよ、6300系特急が大山崎駅に駆け上がった時には既にノッチを入れています。ちらりと横を見るとEF58の回送寝台特急は後ろに去っていきます。そのうちに、最高速度110Km/hになりノッチoff。上牧駅を通過するときに先ほどの58牽引列車を見ると、なんとじりじり速度を上げてくるではありませんか。
水無瀬駅通過時点では追い抜き初めています。こちらは、110km/hのままです。
下り勾配の緩やかなカーブをにはいりました。と、その時、113km/hで自動的に常用最大ブレーキをもらってしまいました。
107km/h位でブレーキが緩み、またノッチを入れて最高速度110km/hにあげましたが、58の回送列車は圧倒的な速度差でどんどん遠ざかってしまいます。速度差は20km/h位はありました。正に、EF58恐るべしです。それまでもいろいろな機関士さんからは高速域の加速はEF65よりもはるかによいとは聞いていましたが、目の前で見てしまうと改めて感動しました。でも、ある機関士さんにはEF65P型で140km/h出したと聞いたことがありますが。

2009年7月18日 (土)

1970.11.8 1M 特急「はつかり5号」上野駅発車 583系

583_1m_2 先日もまた、東海道本線に583系交直両用寝台特急形電車が入りました。
たまたま追いついた583系の後ろ姿を横浜駅で見たら、思わず落涙しそうになりました。
あの、クリーム1号と青15号の色、そして、郡山工場で丹精込めて作った「本物そっくり」の凸凹のない前面貫通?扉。
ホームの端から少し遠目に見たら、なんだか現役時代の「はつかり」を思い起こしてしまったからです。
その日は、うす曇だったので特に塗装が映え上野~青森を、最高速度120km/h(以上)で駆け抜けていたあの頃の肌の色つやに見えたからです。
青森までは、あの有名な、一県一駅停車(当然埼玉県は除きます)1M「はつかり」で、走りに走って8時間15分。
しかも、首都圏での遅れは(誰もみていないところで)ひたすら取り戻してです。
線路が悪くなった1970年台の終わり頃には比較的車体の軽かった485系などは、完全に上下、左右のゆれに台車がボトムしていてガツンとくる恐怖の走りもありました。しかし、583系は車体の重めなせいでしょうか、速度が上がるにつれ逆に安定したような走行になっていました。かつて、電化前の経験を持つ名古屋の機関士さんから、蒸気機関車は最高速度をオーバーをして走ったときには逆に静かになる、と伺ったことがあります。
しかし、こんなこともありました。
1M「はつかり5号」に夏の終わりに乗った時のことです。いつもの楽しみで、編成中程の7号車の食堂車に大宮を通過した頃に入りました。もちろん、貧乏なぼくはチキンライスです。
車内は3割程の入りでした。いつものように北関東の平野に飛び出した1Mは、ひたすらノッチを入れ最高速度近くで走行しています。結構横揺れがでています。チキンライスが出るまでの間、ふと横の席を見ると小さな姉弟がいました。
親らしき人はいません。上のお姉さんは小学校2年生くらい。弟は幼稚園の年中さんくらいです。僕よりも先に、お姉さんにはアイスクリーム。弟くんにはサイダーが運ばれてきました。お姉さんは椅子に座れますが、弟くんは届かないので、靴を脱いで椅子の上に上がって上手にサイダーをコップに注ぎました。そして、コップを両の手で持って口に近づけ、いま、正に飲まんとした、その瞬間!。ドン、と横揺れがありました。弟くんは、そのポーズのまま、椅子ごと通路側に倒れました。まるでスローモーションを見ているようで、本当に、コップを手に持った姿勢のままで椅子とともに倒れたのです。また、お姉さんも何が起こったのかわからず、いきなり弟の姿が無くなったのできょとんとしていました。すぐにぼくも助けようとしましたが、ウエイトレスのお姉さんの方が先でした。弟くんはその瞬間に大声で泣き始めました。かわいそうに、急に倒れてびっくりしたし、痛かったろうと思っていたら、泣きながら
弟くんが言っていたのは、「サイダーをごぼじぢゃっだぁ~」でした。お姉さんは「ちゃんとしてないからだよ」ときびしいことを言っています。でもウエイトレスのお姉さんが、サイダーをもう一度もってきて弟くんのコップに注いでくれました。
めでたしめでたしでした。
結論的に言えば、食堂車というものは大人でも出されたばかりのコーヒーを普通の感覚で飲もうとすると火傷するものなのです。
揺れるのです。だから、暖かい飲み物は「すすり」ながら飲まないとだめです。口の中に入る前に微妙に冷まさないと。
ああ、食堂車に乗りたい!!

先日の写真です。カラーはむつかしいです。

583_2

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